アートの価値ってなんだろう。
わたしなりのアートの価値についてと、制作するときに意識してることを書いてみました。

目次
アートの価値
アートの価値について考えたことってありますよね。
別になくても生きていけるし、「これって美しいんだろうか」「よく解らない」といったアートがこの世には多いです。
利用価値のないものがアートと言われて高額で取り引きされたり、訳が解らない世界です。
「優れたアート」「高値で取引されるアート」とは何なんだろう。
今回は、私個人の納得のいくアートの価値についてお話しします。
結論
美術的価値と希少価値によってアートの価値は決まる。
(このワード自体は確かどこかのキュレーターの人の記事でみたような気がするんですけど、高校のころに読んだので出どころがハッキリしません。すみません…)
まず前提として、アートに対して感情的な部分は絡めずに書きます。
例えば、「アートをみたら感動するから価値がある」「情熱が沸き上がるから価値がある」などは個人的な感想なので今回は含みません。
視覚的な要素が大きいアートはついつい感情的なふんわりとしたイメージが強く、その結果よく解らないものとして認知されている気がします。
この部分を排除して考えたら美術の価値についてスッキリすると思います。
美術的価値
美術的価値は、言葉の通り美しい作品や意匠に付着している価値です。
しかし「美」の定義は時代や文化で大きく変わってしまうので曖昧です。
希少価値
アートの価値の大半を占めるのが希少価値です。
希少価値は、その作品が希少かどうかです。
ピカソの《ヌード、観葉植物と胸像》が100億円
デイヴィッド・ホックニーの《芸術家の肖像画―プールと2人の人物―》が102億円
(現存芸術家で最高額)
この二人の作品についた高額な価格“希少価値”によるものだと考えれば納得です。
たまに「ピカソの絵は自分でも描ける」と言ってる人がいますが、描けないと思うんですよね。
キュビズムがこの世になかったとして、キュビズムのような新たな美術表現を思いついたでしょか。
キュビズムの是非は置いといて、今まで無かった美術の表現や価値観を作り出したことは間違いなく功績だと思います。
希少価値は文化価値とも言えるんじゃないでしょうか。

体系的に作品をみる
希少価値と付随した内容となるのですが、アートやモノづくりの世界は、正解もないし教科書もない。
なのでどれだけ自分の作品の体系を築けるかが重要になってくると思います。
「体系的にみる」とは、過去の作品から現在の作品の変化や歴史をみることです。
過去の作品と現在の作品、それらが含まれる作品の体系こそがその作者の希少価値なのではないでしょうか。
作者の今までの作品がオリジナリティや希少価値が高ければ高いほど、その作品の体系の最前線に誕生した作品は、価値が高くなり高額で取引されるのも納得ですよね。
(この内容と被るところもあります→制作に大切なのは“LOVE” )
実際に作る時に意識してること
これらは、わたしが実際に作品を作る時に意識していることです。
わたしが誰かの作品を丸パクリしたとして、美術的価値はあるけど希少価値はないですよね。(てか犯罪)
大切なのは、美術的価値と希少価値を含んだ自分だけの作品であることです。
本当に自分らしさや思いを詰め込んでないとやっぱりその作品を愛せないし、意欲もなくなってしまいます。
自分のモチベーションのためにも「美術的価値」「希少価値」は大切な要素です。

まとめ
アートの価値について「希少価値」という面からみると分かり安かったのではないでしょうか。ひとつの見解なので人それぞれ思うところもあると思います。
でも私自身はこの考え方のおかげで思考がクリアになりました。
ただ希少価値を求め過ぎたところで続かないし、作品の体系を作れるほどの作品量も作れません。結局のところ作品への愛がないとできないと思うのです。
“愛”と“オリジナリティ”が制作を続ける上で大切ですよね。ってはなしでした^^
では、また:)